子供の頃なので名前は記憶にないのですが、場所は医大の一室でした。
中学の校長先生直々に行ってくれと言われ、身の引き締まる思いで当日行きました。
最初は1人で、後からもう1人来て一緒にやるから先に服を全部脱ぐよう告げられ、裸に。
間も無くもう1人がその部屋に入ってきました。
女の子で、同じく真っ裸でした。
向こうも「エッ!?」と驚いた顔でいましたが中に入れられ、自分の隣へ。
真っ裸の女の子のことは寝耳に水だったのでドキドキが止まりませんでした。
隣で挙動不審者のように落ち着かない様を、見ては悪いなと思いながらもその裸体を見られずにはいられませんでした。
それからその女の子も自分同様、学校代表で来た隣町の中学3年生と知りました。
そして2人とも、この部屋で学校でやるより詳しい身体検査に協力してもらうと言われ、
2人が全部終わるまで裸のまま。もし手などで体を隠すようであれば両手を後ろで縛ると注意されました。
正直自分もビンビンに勃ったイチモツを同い年の女の子に見られるのは照れました。
そして2人だけの身体検査が始まりました。
確かに学校での身体検査にプラス学校ではできない検査を受けました。
測定も目の前で女の子が真っ裸スリーサイズ測定を行い、自分も最大限勃起したイチモツを
測定されたのです。しかも最大限ということもあって女の子が協力を要請されたのですが、最初は「裸を見せてあげて」だったのに目の前で直立してる女の子に今度は「少しだけ胸を触らせてあげて」のお願いに、一度は首を横に振ったのですが、結構しつこい説得に根負けし、自分のイチモツ測定のために、生乳を触らせてくれました。
これが女の子のおっぱいかと目を閉じて耐える女の子のおっぱいをしっかり触りました。
測定後、「ありがとう。これでおあいこにしようか」と女の子の手をとると、矛先は自分のイチモツ。
初めて女の子にイチモツを握られて気分はハイになりました。
その後、モアレや蟯虫検査などなどを経て、「大事なところを調べるから」と女の子を台の上に寝かせると股を大きく開かせ、3分間手袋を付けた手でパックリ開いた膣を撫でるように刺激して反応を調べていました。時折女の子が喘ぎ声を出し体が微動する様をじっくり観察させてもらいました。
それから、「そろそろ我慢の限界がきてるんじゃないかな」と心を読まれると、壁にもたれかかって大股開きの女の子の前に立たされ、「オナニーして射精してください」と言われて仰天しました。でも言われたらやるしかないので、女の子に「すみません」と謝ったうえで女の子を見ながらオナニーしました。
最初は目を閉じていた女の子も自分と目が合ったり、オナニーしているイチモツに視線を向けて、その時を待っているかのようでした。
おっぱいも膣も無防備に露出した真っ裸の女の子をオカズに不本意ながらオナニーを面前で行う様は
客観視すれば惨めで不思議な光景だったでしょうか。
とうとう限界値を超えてしまい、悔いのない射精をしたかったので最後は声を出してひたすらシゴき、ビュッ、ビュルッというような音が合うのではないでしょうか、亀頭の割れ目から久方ぶりに精液が体外に放出されました。
そしてその精液の着地地点が女の子のおっぱいとおっぱいの間になったのを射精して天井を見上げてから首を戻して目にしました。
そして女の子のおへその周りにも精液が点々と不時着していました。
女の子は体勢も変えず動かず声も出さず、ただ自分にかかった精液の流れと自分を冷ややかな目で見ていました。
凍りつきました。でも場所が場所だから勝手に拭き取ることもできず、ただつっ立って女の子の目と
体にかけてしまった精液が下に垂れていく様を黙って見ていました。
正直、その沈黙に耐えるのが辛かったです。女の子は立たされると自分をジッと見ながら言葉を発さずに体にかかった精液を拭かれていました。
女の子の目は、私の裸でオナニーされて恥ずかしいとかそういう類いのものではなく、おそらく内で怒っていたか自分に対して呆れていたかのどちらかでした。
イチモツと手についた精液を拭き取り、次の検査に入りましたが女の子の空気は明らかに変わりました。
最後に写真撮影と今日のことのアンケートを記入し、ようやく終わりました。
記入してる間に女の子が別部屋で脱いだ下着や衣服がその部屋に移動され、
2人でそこで着替え直しました。すぐ右隣で女の子がパンツを穿きブラジャーを装着し衣服を着る様に再び勃起が。着替え終わると、今日一緒に頑張ってきたからと握手をしました。
「ありがとうございました」と最後は当初のような明るい表情を見せて、
女の子から先に退出しました。
それから自分も退出し、医大を出たそばにある公園の原っぱで再びオナニーし、さっきあんなに
出たのにまた結構な量の精液が出ました。
後日校長先生から感想を聞かれましたが、さすがに女の子と2人きりで真っ裸のまま身体検査して
女の子に精液かけました、なんて言えるわけがなく、てきとうにごまかしました。
昭和の終わりでもこんなことが表沙汰にならず行われているんだなと身を持って実感した一日でした。